AIエージェントによって、SAP導入の考え方そのものが、大きく変わるのではないかと思っています。
従来のSAP導入では、利用者がいかに簡単に、間違いなく操作できるかということに、多くの時間と費用を費やしてきました。
入力項目を減らす。選択肢を絞り込む。必要な情報を自動設定する。操作画面を使いやすくする。
こうした工夫を積み重ねて、業務の効率化を実現してきたわけです。
しかし、AIエージェントが業務を実行する時代になれば、そもそも人間がSAPを操作すること自体が、大幅に減る可能性があります。
そうなると、これまで当たり前だったカスタマイズは、本当に必要なのでしょうか。
私は長年、SAPの固定資産管理(FI-AA)に携わってきましたので、実際の経験を交えて考えてみたいと思います。
01そもそも固定資産管理とは何なのか
日本企業における固定資産管理とは、簡単に言えば、企業会計上の帳簿価額、法人税法上の金額、そして償却資産税上の評価額を、それぞれ正しく管理するためのシステムであると言っても過言ではないと思います。
もちろん、固定資産の取得から除却までを管理することも重要ですが、会計システムとしての本質は、同じ資産に対して異なるルールで算定される金額を、正しく管理することにあります。
例えば、会計上の耐用年数と税務上の耐用年数は、必ずしも一致しません。償却資産税には、また別の評価方法があります。
SAPには、こうした複数の評価を並行して管理するための償却領域という仕組みが用意されています。
つまり、減価償却を計算する機能そのものは、既にSAPが十分に持っているわけです。
AIが登場したからといって、わざわざAIに減価償却を計算させる必要はありません。
では、何が変わるのでしょうか。
02かつて、資産クラスを約5,000も作ったことがありました
少し昔の話をしましょう。
私がある電力会社のSAP導入に携わっていた2000年頃、固定資産の資産クラスを、勘定科目ごと、さらに耐用年数ごとに細分化するという設計を採用していました。
電力会社の固定資産管理は、一般企業とは比較にならないほど複雑です。発電設備、送電設備、変電設備、配電設備など、電気事業会計規則に基づく独特の勘定分類があります。しかも、それらの勘定分類と税務上の耐用年数は、必ずしも一対一ではありません。
当時は、機械装置の税務上の耐用年数分類も現在よりはるかに細かい時代でした。そこで私は、勘定科目と耐用年数などの償却条件を組み合わせ、入力者が資産クラスを選択するだけで必要な設定ができるようにしたのです。
こうして設計した資産クラスは、約5,000にも上りました。
5,000ですよ。
今考えても、なかなかの数です。
人間が間違えないための知識を、資産クラスに埋め込む
いたずらに細分化していたわけではありません。
耐用年数や償却条件を判断するための会計・税務の知識を、あらかじめSAPの資産クラスに埋め込んでおくという考え方です。
入力担当者は、該当する資産クラスを選択すればよい。耐用年数を調べたり、償却キーを意識したりする必要はありません。
人間が間違えずに入力できるようにするための仕組みでした。
私は、当時としては非常に合理的な設計だったと思っています。
ところが、AIエージェントが資産マスタを登録する時代になれば、マスタ登録そのものを人間が行うわけではありません。
そうなると、人間にとって便利だったこの仕組みは、必ずしも必要ではなくなります。
同じように5,000もの資産クラスを用意する必要があるのでしょうか。私は、必ずしもそうではないと思います。
03AIエージェントが資産マスタを登録するなら
例えば、工場に新しい機械設備を導入したとします。
従来は、担当者が設備の種類を調べ、該当する資産クラスを探し、必要な情報を入力していました。
しかし、AIエージェントならどうでしょう。
発注書、設備仕様書、検収記録、設置場所、設備の用途などを読み取り、企業が採用している会計方針や税務上の耐用年数表と照合する。
そして、適切な資産区分、耐用年数、償却条件を設定して、SAPに資産マスタを登録する。
情報が不足していれば、AIが担当者に質問すればよいのです。
担当者は、設備の事実を伝えるだけでよい。
SAPの資産クラスや償却キーを理解している必要はありません。
そうなると、入力担当者が間違えないようにするためだけに、資産クラスを細かく分ける必要性は大きく低下します。
もちろん、資産クラスそのものが不要になるわけではありません。勘定設定やSAP内部の統制など、本来必要な役割は残ります。
しかし、耐用年数の違いだけを理由に何千もの資産クラスを用意していたのであれば、その設計は見直せる可能性があります。
これは、単に資産マスタの登録を自動化するという話ではありません。
そもそも、なぜそのようなカスタマイズが必要だったのかという、要求仕様の前提そのものが変わるのです。
04ただし、AIに何でも判断させればよいわけではない
ここは重要なところです。
AIエージェントが資産の内容を理解できるからといって、耐用年数や会計処理を自由に決めてよいわけではありません。
企業には会計方針があり、税法上のルールがあり、社内の承認基準があります。
AIは、それらに従って処理を行う必要があります。
例えば、AIが設備の仕様書から適切な耐用年数の候補を選ぶことはできるでしょう。しかし、判断が難しい設備や、複数の資産区分に該当する可能性があるものまで、勝手に決めさせるべきではありません。
そのような場合には、人間に判断を求めればよいのです。
また、AIがどの資料を参照し、どのルールに従って判断したのかを記録する仕組みも必要になります。
業務ルールを、どこに持たせるか
ここで考えたいのは、業務ルールをどこに持たせるかという問題です。
従来は、資産クラスや各種カスタマイズに組み込んでいた業務知識を、AIエージェントが利用できる独立したルール体系として管理する。
AIが判断の候補を作り、承認されたルールに照らして検証し、SAPの標準機能で処理する。
そうした構成も十分に考えられます。
AIには業務を理解させる。SAPには正しい会計処理をさせる。そして、人間には必要な判断と承認をしてもらう。
この役割分担が基本になると思います。
05カスタマイズが不要になるわけではない
私は、AIによってSAPのカスタマイズそのものが不要になるとは考えていません。
ここは、はっきりさせておきたいところです。
カスタマイズには、二つの目的があった
従来のカスタマイズには、大きく分けて二つの目的があったと思います。
一つは、企業固有の業務要件を実現するためのもの。
もう一つは、人間がSAPを使いやすくするためのものです。
AIエージェントによって大きく変わるのは、後者でしょう。
入力画面を使いやすくする。選択肢を減らす。入力項目を自動設定する。複雑な画面遷移を簡略化する。
これまで多くの費用を費やしてきたこうしたカスタマイズは、AIが業務を実行するなら、優先順位が大幅に下がるはずです。
一方、企業固有の会計処理や、特殊な原価計算、複雑な設備管理などの業務要件は残ります。
むしろ、そこにこそ企業ごとの違いがあるわけです。
Clean Coreを保ちながら、企業固有の要件を実現する
ただし、それらも必ずSAP本体に組み込む必要があるとは限りません。
SAP BTPなどを利用した外部拡張や、標準APIを通じた業務処理という方法もあります。
SAPのClean Coreを維持しながら、企業固有の業務要件を実現する。
AIエージェントによって開発作業の効率が飛躍的に向上するなら、これまで費用面で断念していた機能拡張も、現実的な選択肢になるかもしれません。
Fit-to-Standardは、目的ではなく手段
私は、Fit-to-Standardを否定するつもりはありません。
標準機能で実現できるものは、標準機能を使えばよいのです。
しかし、標準に合わせることだけが目的になってしまっては、本末転倒ではないでしょうか。
AIエージェント時代には、標準機能を最大限活用しながら、必要な部分を柔軟に拡張するという選択肢が、これまで以上に重要になると考えています。
06SAP導入の要求仕様そのものが変わる
これまでのSAP導入では、業務フローを整理し、人間がどの画面で何を入力し、誰が確認し、次にどの処理を行うのかを細かく設計してきました。
そして、その業務フローを実現するために、カスタマイズやアドオン開発を行ってきたわけです。
しかし、AIエージェントが業務の大部分を実行するのであれば、人間の操作手順をそこまで細かく定義する必要があるのでしょうか。
固定資産管理を例に取れば、資産マスタをどの順番で入力するかということよりも、何を根拠に資産として計上するのか、どの会計ルールを適用するのか、どのような場合に承認が必要なのかを定義する方が重要になります。
もちろん、業務フローそのものが不要になるわけではありません。
会計処理の順序や承認権限、職務分掌、例外処理など、守るべきルールは残ります。
しかし、それは人間の操作手順とは別の話です。
人間がSAPをどう操作するかではなく、企業としてどのような業務処理を行うべきか。
要求仕様の中心が、そこへ移っていくのではないでしょうか。
07これからのSAPコンサルタントに求められるもの
こう考えると、SAP導入コンサルタントの役割も変わってくると思います。
従来は、SAPの機能を理解し、ユーザーの要望を聞き取り、適切なカスタマイズやアドオンを設計できることが重要でした。
もちろん、その知識は今後も必要です。
しかし、それだけでは十分ではなくなるでしょう。
企業の業務を深く理解し、会計や税務のルールを整理し、AIエージェントが正しく実行できる仕組みを設計する。
そして、SAPの標準機能で処理すべきものと、外部で拡張すべきものを見極める。
そうした能力が、これまで以上に求められるのではないでしょうか。
技術が変われば、最適な設計も変わる
私が20年以上前に、約5,000もの資産クラスを設計したのも、当時のSAPと業務の仕組みの中で、できる限り合理的な方法を考えた結果でした。
しかし、今なら別の方法を選ぶと思います。
当時の設計を否定しているわけではありません。
技術が変われば、最適な設計も変わる。
それだけのことです。
08おわりに ― 人間のためのカスタマイズから、AIエージェントのためのカスタマイズへ
今回取り上げた固定資産マスタの登録は、ほんの一例にすぎません。
建設仮勘定の精算、資産の移動や除却、設備保全との連携など、固定資産管理だけでも、まだまだ見直すべき業務があります。
そして、こうした変化はFI-AAだけでなく、SAPのあらゆる業務領域に及んでいくでしょう。
人間がSAPを使いやすくするためのカスタマイズから、AIエージェントが企業の業務を正しく実行するためのカスタマイズへ。
私は、これからのERP導入では、この発想の転換が必要になると考えています。

